2019.04.18・7
先日ひとり宅飲みが捗らないと書いたのだが、そんな私にも仕事終わりに飲みたくなるものがある。
カルピスソーダだ。
カルピスウォーターでもなく乳酸菌で体脂肪がなんちゃらのカラダカルピスでもない。カルピスソーダである。
以前はただ炭酸飲料が飲みたいという欲求だけで、リアルゴールドを買ったり三ツ矢サイダーを買っていたのだがある日ふと自販機にあるカルピスソーダを買って飲んでみた瞬間に「これだ…」と静かに確信した。
昔からの馴染みのある味に炭酸のシュワッと感。これだけはゴクゴクいける。
正直、ひとり宅飲みしなくてもカルピスソーダに適当なおやつがあれば良い気もしている。
ただ、最寄りのスーパーにはカルピスソーダがない。やむを得ず自販機の160円で手を打っている。
さすがに毎日買うのは…と自粛しているので休日前夜か、休日明けの仕事終わりという風に購入する日を決めてみようかと思う。
ただそれだけの話。
2019.04.17・6
急ではあるが1ヶ月ぶりの帰省。
最近始めた「あるくと」という歩数計&位置ゲームアプリのミッション達成のために朝起きてから散歩へ出かけた。
散歩ついでにさざれをバッグから出してぬい撮りをやってみると意外と楽しい。ハマる人がいるのも頷ける。
地元なこともあるので人目につかない場所でだが。
Twitterでぬい撮りをしている人のリストを作ってみると実にほのぼのとしたTLになった。
どうやら私はなりきり系ではないぬい撮りツイートが好みなようだ。
なりきり系はそれはそれで世界観があって楽しそうなのだけれども。好みの問題なのだろう。
来た早々に信州から北陸への大移動を経験したさざれを実家のくまと対面させてみた。
このくまとは物心つく前からの付き合いだ。
帰省して自室にまだ彼がいてくれて少しホッとした。
これから祖父の通夜や葬儀があるので、さざれにはしばらく鞄の中にいてもらう。
もうしばらくさざれと一緒に非日常を過ごそう。しみじみとひとりでなくてよかった。
2019.04.16・5
幼い頃からぬいぐるみが大好きだった。サロペットを着たテディベアや、誕生日に貰ったパンダのぬいぐるみが特に好きで名前をつけてかわいがっていた。
ある程度大きくなると家族からぬいぐるみを買うことを止められたりもしたがテディベア好きは変わらなかった。
そんな私の学生時代の憧れはチーキーベアである。
クリッとした目にイタズラっこそうな口もと。
ちょっと横向き気味でコアラみたいな耳。
しかし学生のお小遣いで買えるお値段ではなく、憧れは憧れのままで時が過ぎた。
ところが、昨日アフタヌーンティーリビングに立ち寄ったところなんともお手頃なチーキーベアがいたのだ。どうやらメリーソート社とアフタヌーンティーのコラボらしい。
もちろん本家メリーソート社のチーキーベアよりはチープな部分もある、
でもこれはこれでかわいいじゃないか。ジェネリックチーキーと呼ぼう。
荷物にならないよう引っ越す際にぬいぐるみを持ってこなかった。てのひらにのるSサイズなら今の住環境でも大丈夫そうだ。何だったらお出かけのお供にも出来る。
調べてみたら昨今は「ぬい撮り」といってSNSでぬいぐるみの画像をアップする人も多いようだ。
軽井沢での生活のパートナーとしてジェネリックチーキーをお迎えすることにした。
まず売り場にあるチーキーの中から一番好きな表情のベアを選ぶ。
パートナー選びなので真剣だ。微妙な目の位置や口もとの刺繍を見比べて、ちょっとやさしそうな雰囲気(※個人の感想です)のベアにした。
そして名付けである。名付けは個人的にとてもワクワクする。子どもの頃はぬいぐるみの名前を時折変えたりもしていた。
今回の候補はこちら
・タイニー
・マーニャ
・さざれ
・すすき
マーニャは初めて読んだ伝記で知ったキュリー夫人の子供時代の愛称だ。
和名は響きが好きなのだ。あまり被らなそうな気もする。
Twitterでアンケートをとるとマーニャとさざれが同数であった。
しばらく迷ったが、さざれに決定した。
さざれを枕元において眠り、朝の5時半過ぎにiPhoneの着信で目が覚めた。母からだった。
母方の祖父が息を引き取ったという報せであった。
慌てて荷物をまとめ、さざれは車の中に座らせて帰省した。
ただの偶然だろうが、このタイミングでさざれが居てくれてよかったと思った。運転しながら涙がこみあげてくるなか何度もそう思った。
きっとこれから悲しみや寂しさが度々訪れる。そんな時に黙ってそばにいてくれるさざれ。ジェネリックとか呼んでごめん。
2019.04.15・4
ツルヤファンである私の休日の朝は早い。
ツルヤとは長野県でチェーン展開しているスーパーマーケットである。
私より先に長野に移住した友人からツルヤのプライベートブランドであるツルヤオリジナルの良さを聞いてはいたものの、見事に沼に嵌ってしまった。
ツルヤは20時閉店で仕事の日には買い出しが出来ないので休日は朝9時台に車を出して買い出しに向かう。
軽井沢のツルヤは平日朝9時半開店(日曜のみ9時開店)だが、9時45分くらいで駐車場にそこそこ車が停まっており、9時50分の時点でレジに列が出来ていた。
ちなみに私の入店5分後の買い物カゴの中はこちら。
なぜそんなに早く家を出て開店すぐの時間帯を狙うのかというと、ひとえにお惣菜コーナーのキャベツ入りメンチカツ1個49円(税抜)を手に入れるためだ。
他にも揚げ物はたくさんあるのに、このメンチカツだけが飛ぶように売れていくのだ。
実際、上の写真を撮った後でお惣菜コーナーに戻ると既に残り5個にまで減っていた。
それほどこのメンチカツはお値段以上に美味しい。噛んでいるとキャベツの甘みが出てくる。
メンチカツほどのバカ売れではないものの、芋だけのシンプルなコロッケも美味しい。正直、芋だけでこんなに美味しいとは食べてみるまで思っていなかった。
更にツルヤは野菜が新鮮だ。ちょっとでも見劣りするものは「現品限りコーナー」行きなのだが素人目にはほぼ気にならない。
そしてツルヤオリジナル商品。
これはかりんとうからドライフルーツ、フリーズドライの味噌汁、レトルトカレーなど多岐に渡る。
レトルトカレーは少しだけお値段は張るが、それでも買ったことを後悔しない。エリンギの存在感がある。
ミックスナッツに至っては一口食べた瞬間にリピート買いを決意したし、ドライフルーツも柔らかくて甘さがじゅわっとしていて、油断するとあっという間になくなる。
こうして行くたびにツルヤオリジナルや野菜、パン、お惣菜を購入して持参したダイソーの薄っぺらなリュックへパンパンに詰めて帰宅の途につく。
あまりに何もかもが美味しいため、ツルヤは長野県民を支配しようと企んでいるのではないかと疑ってしまった日々もあったが、今や私は洗脳完了だ。
ツルヤがあるおかげで私のQOLが爆上げされているので末永く繁栄していただきたい。
2019.04.14・3
新しい仕事と住環境の関係上、休日でなければ外食が難しい。
そしてここ軽井沢はコンビニが24時間営業ではない。6時オープン23時クローズだ。
そのコンビニも微妙に離れている。いちいち仕事帰りに遠回りするのも億劫。早く帰りたい。
そういった条件が重なった結果、日々の食事は自炊に落ち着いた。仕事の日のお昼ご飯も弁当持参だ。
「料理お好きなんですか」と最近よく聞かれるがとんでもない。
「仕事のある日は絶対に料理したくない。」
そんな鉄の意志で休日にまとめておかずを作り、米を炊いてラップで包んで冷蔵庫に入れておく。
仕事のある日は朝はパンとトマトなど適当な野菜を食べて、ついでに作り置きのおかずとごはんを弁当に詰める。
夜は帰宅が遅くなれば冷ご飯にフリーズドライのスープをのせて熱湯をかけた簡易雑炊とおかずをちまちまつまむ。
おかずがなくなる頃に次の休日がくる。
もう何もかもが面倒な時に備えてレトルトごはんとカップ麺、レトルトカレー、ゼリー飲料なども常備。
休日前夜はクックパッドとにらめっこしながらスーパーで何の野菜を買って何を作るかの算段をしている。
Twitterでは自炊や料理アカウントをせっせとフォローしているゆえに時には飯テロTLになってしまう。
幸いなことに長野は驚くほど野菜が新鮮で美味しいため、私みたいな腕前でも当社比三割増しで美味しく感じられる。
自分ひとりのためのごはん作りは、自分で自分のご機嫌どりをしているようだ。
毎日ではないから続いている。今のところは。
2019.04.13・2
ひとりでの宅飲みがどうにも捗らない。別に捗らなくても良いのだが。そもそもお酒に強くはない。
ふらっと入ったお店でのひとり飲みはちゃんと捗る。
とうとう新世界の串揚げ屋でひとり飲みデビューも果たした。
「酒は人生の子守唄」というパワーワードがお品書きに書かれていた。そうか、人生の子守唄なのか酒は。妙に説得力がある。
なぜひとり宅飲みが捗らないのだろうか。どうしてかビールやチューハイの一缶すら飲みきるのがきついのだ。ほろよい一缶でも途中で飽きてくる。
炭酸じゃなければ…と先日はホットワインを購入したが、実は後半ちょっと飽きていた。
自室でひとりでスマホを見ながら乾きものをツマミに飲むからなのか飽きる。
どうにか飲みきってもすぐ横になって寝てしまって早朝に気分が優れずに目が覚める。
晩酌にして夕飯を食べながらテレビでも見て飲めば捗るのかなとも思うが、なんかそこまでして飲みたいかというとそうでもない。
確実に洗い物が億劫になってそのまま寝る未来しか見えない。私は基本的にぐうたらなので。
やっぱり誰かと一緒に飲む、もしくは外食ついでに飲むという「ほんの僅かな非日常」での距離感が良いのかもしれない。私の場合は。
歩いて行ける距離に飲み屋やバーがあれば良いのだけれど。開拓せねば。
2019.04.12・1
春からガラリと変わって軽井沢に引っ越した。
まだいろいろなことが新鮮で、それがなんでもなくなった時ようやくこの生活に慣れてきたことになるのだろうなと。
そんなわけで心機一転。これまでのブログを消してしまって新しいブログに。
愛着のあった金沢を離れての新生活は現時点では居心地も悪くなく、ごはんももりもり食べている。
諸事情につき本を置くスペースが無いので今手元にある歌集は三井ゆき『空に水音』だけ。
あとは葉ね文庫で購入した同人誌[sai] vol.3と現代短歌大事典(普及版)と結社誌の未来3月号、4月号くらい。
歌集や歌書は徐々に増えてしまうことを見越しての結果だが、もうちょっと持ってきてもよかったかもしれない。
4年以上名ばかりの幹事をしてきた金沢の歌会・鏡の会も、今後は毎月の参加も難しくなりそうなので他のメンバーにそれぞれ役割分担をしていただき運営をおまかせした。
昨年あたりから自分がずっと仕切り続けることに少々の懸念があったのでちょうど良いタイミングだったとも思う。
超結社、歌歴を問わない自由な雰囲気のまま、きっと楽しく続いてくれるはず。
そんなこんなで先月の鏡の会の歌会は初めての欠席。わかってはいたけれど、どーんと寂しさが押し寄せる。
今ごろみんな会場に集まったかな。今日はどんな詠草が集まったかな。懇親会はサイゼだよね。
当然のようにほぼ毎月いた場に自分がいないという現実をきゅーっと胸の奥を絞られるような感覚で味わった。
結局、来月には連休を貰ってまた鏡の会に参加する。
でも、いずれは少しずつ離れていこうと思っていて、その代わり長野で友人たちと新しく歌会を作るつもりだ。この寂しさを原動力として。
春キャベツはがしてちぎる一心に胸のつまりを日々へと焼べて